こんにちは。
アカネサス代表の北條竜太郎です。
私は大学院で社会学を専攻しました。
指導教官は、大澤真幸先生──社会学の世界では“スター”と呼ばれる方です。
私の研究テーマは、法制度や社会規範に関するものでした。
「なぜ人はそれを“当たり前”だと感じるのか?」
──そんな問いを軸に、抽象度の高い理論探究を続けていました。
毎日、膨大なインプットとアウトプットを繰り返す日々。
思考の強度という意味では、確かに濃密な時間でした。
けれど、あるとき気づきました。
学問の成果は、学会の中でしか消費されない。
そして、自分の限界も見えてきました。
大澤先生のように、理論を“量産”することは私にはできなかった。
「思想的な実践」は、きっと社会の別の場所にもある。
そう思い、私は学問の世界を離れることにしました。
卒業後は、外資系のコンサルティング会社に入社しました。
しかし、仕事はまったく面白くなかった。
パワーポイントとエクセルの中で議論が完結し、誰の人生にも触れていない感覚。
「これなら大学院のほうが良かった」とさえ思いました。
その後、オリックスに転職し、事業企画部門で温泉旅館の再生案件などを担当しました。
資金と構造を一体で見る視点、リスクと投資を結び直す感覚──
そこには確かに“現場の手触り”がありました。
しかし、それでもどこか決定的に足りないものを感じていました。
そんな中、私は実家の製餡メーカー「茜丸」に戻ることを選びました。
もちろん、あんこが好きだったという単純な理由もありました。
でもそれ以上に、
「この現場なら、若くても経営に関われる。
家業という立場を活かし、自分の手で実践できるかもしれない」
そう考えたのです。
当時の茜丸は、黒字ながら借入が膨れ上がり、資金繰りは常に綱渡り。
金融機関との関係も一歩間違えば破綻しかねない状況でした。
現場では、誠実に働く社員たちが報われず、評価も曖昧。
誠実な人ほど疲弊していく構造の中に、自分が入ってしまったのだと痛感しました。
私は「延命ではなく、再構築が必要だ」と判断しました。
そして民事再生を選択。そこから企業構造の再設計が始まりました。
民事再生によって、大手との取引は打ち切られ、支払いはすべて現金前払いに。
掛けのサイトが消え、キャッシュフローはさらに悪化。
そして、売上も急減しました。
15億円あった売上は、初年度に9億円へ。
工場は静まり返り、倉庫には空気しかない。
「このままでは事業がもたない」と感じ、販売構造の根本から見直す決意をしました。
改革の方向性は明確でした。
【卸中心モデル】をやめ、【直販中心】へ転換
資金回収を優先するため、業務用BtoB ECサイトを立ち上げ
販路の再編で、キャッシュフローと粗利構造を立て直す
その過程で、大学院時代の学びが思いがけず役立ちました。
社会学者ピエール・ブルデューの概念である**「ハビトゥス(無意識に内面化された業界の常識)」**。
それが、家業の中に強く根付いていたのです。
「業務用は卸を通すのが当たり前」
「設備投資は前例に倣うもの」
「付き合いのある業者を優先すべき」
──そんな“慣性”の上に経営が成り立っていました。
しかし、それを自覚し、意図的に変えない限り、事業は惰性で回るだけです。
私は自分に問い直しました。
「この事業は、誰に、何を、どう届けるために存在しているのか?」
問いを立て、構造を読み、経営を再設計する。
このプロセスの中で、かつて大学院で手放した“思想”が、
現場で実装され、機能し始めた感覚がありました。
論文にはならなかった問いが、今は経営判断の軸になっている。
思想は、構造の中に落とし込まれて初めて意味を持つ──そう感じた瞬間です。
私は、頭の中で止まっていた問いを現場で動かす方法を探しました。
そのために選んだのが、現在の**コンサルティング事業(アカネサス)**です。
もっとも今では、“コンサルティング”という枠を超え、
構想から工場設計・補助金・利益設計までを一気通貫で支援する
「構想実装型パートナー」へと進化しています。
次回は、この構想が
「事業承継」や「家族」という根深いテーマにどうつながっていったのか。
私自身の経験を交えてお話しします。
それではまた。
アカネサス株式会社
代表取締役
北條竜太郎
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