こんにちは。
アカネサス代表の北條です。
今回は「読むこと」について、少し違った視点から考えてみたいと思います。
読書とは、単なる情報収集なのでしょうか。
それとも、別の何かなのか。
経営者はよく本を読みます。
とくに多いのがビジネス書です。
成功者の本
戦略の本
習慣や思考法の本
読むことが「学び」や「成長」と結びつくのは自然な流れです。
けれど、ふと疑問に思うことがあります。
あれだけ読んでいるのに、
なぜ判断が深まらないのでしょうか。
最近の読書は、
“勉強”や“インプット”と混同されているように感じます。
「この本から何を学べるか」
それが読書の評価基準になってしまっているのです。
実際、企業でも読書推進の取り組みがあります。
例えば、
メルカリ
「Mercari Library」で社員が本を共有
Sansan
「知識手当」で読書を業務として推奨
こうした制度は、
読書の“場”を整えています。
しかし、
読むこと自体が“事件になる体験”
は、そこにはあまりありません。
ビジネス書の多くは、
成功したあとに、その理由を説明したもの
です。
つまり、
生存バイアスの集合体
でもあります。
成功した人のストーリーは語られる。
しかし、失敗した無数の試みは語られません。
だから読んでも、
知識は得られる
けれど判断は深まらない
という状態が起こります。
ここではっきりさせたいことがあります。
読書は、知識の集合体ではありません。
読書とは、体験です。
たとえば
ガルシア=マルケスの『百年の孤独』。
読み始めたはずなのに、
いつの間にか「読まされている」。
名前も、時間も、視点も、
ぐるぐると巡り続けます。
気づくと、
自分の中に物語の構造が入り込んでくる
感覚になります。
これは快感というより、
むしろ中毒に近い感覚です。
論理では抗えません。
読み終わる頃には、
自分がどんな判断をしていたのかさえ
曖昧になる
最初から、
読むことそのものが“事件”として設計されている
作品なのです。
この小説の本質は、
「語りとは何か」
という問いにあります。
語り手は特定されず、
時間は混乱し、
同じ名前が何代にもわたり繰り返されます。
そして物語は、
「語られていたとおりに終わる」
構造を持っています。
ここにあるのは
「歴史は繰り返す」という話ではありません。
語りの構造が、繰り返しを生んでいる
ということです。
読者はやがて、
「理解すること」を諦めます。
ただ構造の中に取り込まれていく。
そして、
自分も最初から
この語りの一部だったのかもしれない
と感じ始める。
『百年の孤独』が怖いのはそこです。
優れた読書とは、
情報を集めることではありません。
自分の思考が書き換えられてしまう経験
です。
ビジネスでは判断力が求められます。
しかし判断力とは、
スピードではありません。
どれだけ
構造に耐えたか
それが判断の深さを決めます。
読書は、
意味の分からないもの
語れないもの
すぐに理解できないもの
に耐える時間でもあります。
その沈黙の中にこそ、
語る力の土台があります。
本当に読むべき本には、
明確な目的はありません。
ただ、
事件としてそこにある
だけです。
読むことで、自分の思考が揺らぐ。
その経験こそが読書の価値なのだと思います。
次回は、
「語ること」が組織をどう壊すのか
について考えます。
語り手を間違えた組織が、
どのように崩壊していくのか。
組織と語りの関係を掘り下げていきます。
── 北條竜太郎
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